昨年末くらいからずっとライブや舞台仕事が続いていて、Birthday Liveが終わったらゆっくりしよう、ゆっくりしよう、ばかり考えてました。
もちろん創作や練習やることはいっぱいあるけど、とにかく時間や時期の制限の無い中でインプット生活をしたかった(^-^)
旅もしばらくしてないし。
そんな開放的な気持ちになり、羽を伸ばそうと1日目。
それまでも、時間を見付けてはちょこちょこ大好きな絵を見に行ってましたが
ちょうど渋谷Bunkamuraで8日から始まったばかりの、「エリック・サティとその時代展」を観に行きました。
実は、サティを音楽劇中で弾き、コクトーの世界に6月はどっぷり浸かっていたので、すごく楽しみにしてました!
美術館で音楽家展をやるなんて、どんな風な展示なのだろうと興味津々でした。
これがまた、想像以上に良かった。
パリ、20世紀への転換期に、作曲家サティを中心に繰り広げられる交流関係や時代の香り。
マン・レイに「眼を持った唯一の音楽家」と言われたサティ。
視覚芸術に並々ならぬ興味を持ってた彼は、音楽活動もどこか視覚的。
その時代のサティの楽譜は、譜面、表紙共に芸術です!
不思議な言葉、皮肉がちりばめられた楽譜。
サティの楽譜の言葉を集めた詩集を持っていたので、変わった人だったのは良く知っていたけど、やることなすことユニークでお洒落。
ピカソ
マン・レイ
コクトー・・
錚々たる芸術家との交遊
この人たちが、そこに集まって新しいことが生まれて行く、その情景を想像するだけでも、興奮して、うわ〜と声を上げたくなる。
サティは劇伴を自作自演したり
流行りのシャンソン作ったり
そのパリの空気と芸術の中で、新進気鋭の芸術家と化学反応を起こしながら、個性的に創作活動を展開していったんだなあ。
一番可笑しかったのは、自宅のドアの前に貼られた、どんなに自分の曲が素晴らしいかを書いた販売促進のポスターが展示されていたこと。
芸術に溺れながらも、生活するのにも必死だったんだな。
サティの、帽子や、ステッキや、つけ襟も展示されていました。
すごい!
こんなものまで展示されているなんて。
クラシックを勉強した人から見たら、軽い音楽に位置するかもしれないけど(けしてレッスンで取り上げられない)
直筆のジムノペティ2番の譜面の直しを見ると、あのシンプルなメロディがいかに考えられて作られたかわかるし
シンプルだからこそ、レストランやホテルでの演奏でも良く耳にすることができる愛される「クラシック」になったわけだし
でも、サティの曲を、全時代通して弾いたり聴いたりすると(特に世界的に素晴らしいピアニストの演奏で聴くと)全く違った世界が見えてきます。精神性の深さとか、苦悩とか。。。
そして、いつの時代も、音楽家は大変だな(笑)なんて思ったり
売れない時代のサティの曲ジムノペティを、ドビュッシーがオーケストレーションして世に発表して認められたこと
時代が違うけど、それを思うと、メンデルスゾーンが、没後忘れ去られたバッハを演奏しはじめて、今日までバッハが演奏されるようになったこと
そんな、良いものは語り継がなくては、という人々の思いで、今日の芸術があり
やっぱり、日本の歌やポップス、ジャズ、シャンソンなども、同じで、不朽の宝を語り継ぎつつ、新しいものを作って行く
これも大切だなあ、なんて、ぶらぶら長時間会場歩いて思いました。
ピカソやコクトー、ディアギルフによる「パラード」の舞台が再現されたビデオも会場で流れていて、本当に斬新でびっくりした。。面白すぎて・・これは当時は叩かれただろうな、とか。
ああ、楽しかった!
音楽、絵画、舞台、文学、宗教や時代まで、やはり切り離せない一つの芸術という器の水。
時に、流れたり、静止したり、透き通ったり、濁ったり。混ざったり、分離したり、凍ったり、割れたり、沸騰したり!!!
沸騰した頭を鎮めるため、美術館隣のドゥ・マゴ・パリでお茶。
カプチーノとタルトタタン♪
0 件のコメント:
コメントを投稿