2017-04-25

線路よ、続けよ、どこまでも!!!

東京のライブを終えて、翌日。

震災直後、福島県相馬市の災害FMへ出演させて頂いたのですが、久しぶりに相馬へ行って来ました🐴

東京から仙台へ移動し、昨年末仙台から原ノ町まで開通した常磐線にも乗りたくて、遠回りの相馬入り🚃
 

線路も生活も流された海沿いは、今は新しい線路と電車、新しく建てられた駅、新しく整備された駅周辺の土地。





相馬から生中継で、戸塚FMへ出演し、相馬の様子を伝えたこともありましたね・・・📻

なかなか再び訪れることが出来ずに、いつかは、いつかは・・と思っていました。自分のことでも精一杯だった、小さい自分をずっとずっと情けないなあと思いながら🌀



災害掲示板で知り合ったNさんとのご縁で、震災後は相馬という土地の名前が、日本地図の中で大きな存在感を持つことになりました。当時、Nさんにはあちこち市内を車で案内して頂きました。



震災直後、海岸沿いの住宅地は、家屋の土台だけ残され、お茶碗や小さなお膳などが散乱していました。


今は、伝承鎮魂祈念館が建ち、震災でお亡くなりになった方々のお名前、震災当時の相馬の写真などが展示されています。まだ持ち主の元へ帰れない50万枚の家族写真も。

住宅地があった場所は高い堤防がそびえ、、住宅は高台へ移り新しく建てられていました。



津波で破壊された港は、新しい倉庫が建っていてきれいに整備され、釣り人の姿も。




この日は、休日だったにも関わらず、災害FMで大変お世話になった市役所の遠藤さんが、スーツを着て半日案内をしてくださいました。

感謝しても仕切れません❗❗❗


遠藤さん、本当にありがとうございました✨✨✨

新しく建てられた相馬市役所🏠
一人では、どうしてもどうしてもできないことでした💧💧💧



少し遠出をして頂き、富岡まで。


今は使われていない、常磐線夜ノ森駅。


帰還困難区域の夜ノ森の桜並木と、たくさんの観光客。きっと、住民のみなさんも、震災前の桜を懐かしみながら、たくさん訪れているのでしょうね。




静まり返った町に、桜は毎年変わりなく開花し、何を見ているんでしょう?


幸せな生活があったはずの町、家屋や病院、喫茶店、学校が、当時のまま持ち主を待っているようです。




私は、桜の曲が2曲あります。

1曲は学生時代を過ごした東京・石神井川沿いの桜。

そして、日立の桜。



きっと私は、福島の桜になって、曲を作るんだろうな・・・と、この日記を書きながら今、思っています🌸




常磐線が、日立と相馬を結ぶ日を待ち焦がれています(*'▽'*)



初期の曲に、「夜汽車に飛び乗ろう」という曲があります。

あの歌のイメージは、高校生活を送った常磐線・水戸駅から、上京を夢見た上野駅だった(笑´∀`)



常磐線は、私にとって、どこまでも夢や希望を運んでくれる線路。





ありきたりの言葉しか出てこないけど・・・でも、やっぱり


がんばれ東北❗


線路は続くよ、線路よ続けよ、どこまでも❗❗❗




翌日は、相馬を後にして、山形へ。

続く・・・



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